71 ロマーニャのやり方でつくったタリアテッレ

(翻訳)ペッレグリーノ・アルトゥージ『調理の知識とおいしく食べる方法』(79)


71 ロマーニャのやり方でつくったタリアテッレ

 話は短く、タリアテッレは長く、とボローニャ人は言うが、そのとおりだ。長話はあわれな夫を不安にさせるが、短いタリアテッレはつくった人に辛抱が足りない証拠で、そんなものを出せば台所の余り物だと思われるだろう。だから、よそ者の好みに合わせてブイヨンに入れるカペッリーニやタリエリーニを小さくすりつぶしてしまうやり方には賛同できない。このようなミネストラはイタリアの独自性を保つために、国民の特徴を保持していなければならない。

 69番と同様に生地をつくって切る。軽くゆでてから水をよく切って、火にかけたシチュー鍋に一瞬だけ入れ、104番の田舎風スパゲッティの味をつける。それから、ミネストラの量に応じたバターを入れ、ゆっくりと混ぜてから提供する。私の考えでは、このミネストラはとても味がよいが、よく消化するためにはロマーニャのような空気が必要だ。思い出すが、フィレンツェ人(歯の抜けた老齢の男性、中年男性、そして若い弁護士)と旅に出かけたことがあった。そのフィレンツェ人たちはモディリアーニにある遺産の所有権を獲得しに行くところだった。私たちはある安宿に降り立ったが、そこはまさに安宿という雰囲気の場所だった。四十数年前のことだ。主人がミネストラに出したのはタリアテッレだけで、前菜には豚のコッパしかなかった。そのコッパはとても固くて食べるのが困難で、老人がそれを食べるのに苦労するのを眺めることになった。ところが、その老人とそれ以外の人たちは腹を空かせていたので、コッパもそれ以外もとてもおいしく、さらにはこの上ないもののように感じられた。私は何度も感嘆の声を聞いた。「この空気をフィレンツェに持って帰れたらなあ!」このついでに、次の話をしておくことをお許し願いたい。フランチェスコーネ貨が流通していた時代にロマーニャのある伯がフィレンツェに逗留していた。この伯はフォルリンポーポリ・デル・ゴルドーニ侯と張り合っていたが、うぬぼれがとても強く、あまりお金がないのに頑丈な胃袋をしていた。その時代、フィレンツェではわずかなお金で生活できたので、さまざまな首都の中でも物価が安いことで有名だった。多くの食堂がミネストラ、お好みの三品、果物もしくは菓子類、パン、ワインの注文を一リラ(八四セント)で出していた。量はわずかだったが、オオカミみたいに大食らいでなければ誰でもそれで満足できたので、そうした食堂には紳士方も通っていた。ところが、くだんの伯はそうした食堂を見下していた。読者諸氏は伯がどのような手段で体面を保ちながら出費を抑えていたと思われるだろうか? 伯は一流の宿の丸テーブルにつく日とそうでない日を交互にした。そうした宿では半フランチェスコーネ(二・八リラ)を払って、非常によいサービスを受けられるが、馬を留めると、二日分を胃に詰め込んだ。そして家ではメイン、パン、チーズ、薄切りのサラミで食事をした。読者諸氏のお手本になり、レシピが役に立つことを期待する。

Progetto Artusi

Progetto per una traduzione giapponese di "La scienza in cucina e l'arte di mangiar bene" di Pellegrino Artusi

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